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「ネットの普及とわがジイチャン」 06.6.28

【第2回】

  祖父が亡くなって以降一度だけ、祖父の顔写真が載った新聞記事を母親が発見したことがある。それによると祖父は岡山の関西中学出身となっていた。ほんのたまにでも紙面に登場するのは、やはりある程度のレベル以上の選手ではあったんだろうなあと思い、しかし、それにしても親からは何も訊き出せず、出版物から、しかも断片的にしか情報は入らんのかいとも思ったが、とにかく当時の私には、それ以上調べる方法も熱意もなかったし、結果、いつしか私もほとんど人に言うこともなくなり、いつしか20数年の時が流れた。

 私はゴルフの番組の撮影をすることが多いのだが、そこにはよく、ゴルフ好きの現役の野球選手やOBが登場する。そんななか一度「神様・仏様・稲尾様」で知られる往年の大投手、稲尾和久氏と、収録後に一緒に飲む機会があり、偶然席を並べた私は突然「今だ!このくらいの年代の人なら知ってるかもしれない!」と祖父のことを久しぶりに思い出し、思い切って訊いてみた。「あのう、私の祖父も選手でして、戦前の阪急にいました。黒田健吾といいます。ご存知ありませんか?」・・・少し考えた稲尾氏は「すまんなぁ〜。知らん!」と答えてくれた。私は悟った。いかなプロ野球の選手同士とはいえ、同じチームでもなく世代も違えば、情報が瞬時に往き交うこともなく、記録や資料の整理が覚束なかったであろう時代では、直接の面識や何かの縁でもない限り、知る由もないのだと。ああ、もう祖父を知る人に私は会えないのか?それともそういう人は、もうこの世にはいないのか?

 それからさらに数年後、インターネットが登場して、すでにかなりの時が経ち、さまざまな情報を簡単に検索することができるようになったと言われて久しい頃、また急に祖父のことを思い出した私は「黒田健吾」を検索してみた。しかし、「戦前に阪急の選手だった黒田健吾」の情報はなかった。
ちなみに、多くの人が試すように私も自分の名前を検索してみた。結果は4件。しかもそのうち2件は、すでに運営していないゴルフ関連サイトの中の、葉書で登録した人のハンデを査定するページで、数年前に私が登録した当時の査定である「ハンデ40」という表示が残っていたものであった。恥ずかしい限りである。

 それからまた数年たった今年の春、久しぶりにまた祖父のことを思い出した私は何気に検索してみた。すると驚いたことに数年前にはいっさい出なかったはずの祖父に関する情報がわんさかと出たのだ。私はそれらを貪るように開き、読み、保存した。それにより、長年の間私にとっては謎であった、祖父の野球選手としての記録のほぼ全てを知ることが出来たのである。うれしいことに祖父は名選手と呼んでも構わない程度の活躍をしていた。

 
 阪急での選手生命はたった6〜7年ほどだったようなのだが、毎年オールスター(当時は東西対抗戦)に選ばれ、本塁打4位にランクインした年の祖父より下位には、あの川上哲治氏の名があり、他にも同時代のプレーヤーとして鶴岡一人氏、水原茂氏、青田昇氏、藤村富美男氏、さらには伝説の名投手、沢村栄治氏の名が見える。祖父の守備は確かに「黒田のあり地獄」と呼ばれ、同僚の山田伝外野手は、へその前でフライをキャッチすることから「へそ伝」と呼ばれている・・・。老人のこととて当然の弱々しい晩年の姿しか見たことがなかった祖父の、若き日の姿が突然に、生き生きと浮かびあがってきた。
やるな、じいちゃん!  (文/黒田クーリー)

・・・第3回へと続く