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「イベリア半島の裏日本」  06.6.27  


坂が多くて道がせまい
リスボン

 ポルトガルがワールドカップにおいて50年ぶりにベスト8に進出した。(6/27現在)
ポルトガルといえば、イベリア半島を支配するもうひとつの国スペインと比較して、「イベリア半島の裏日本」と言われ、「暗い」「陰気」といったイメージで語られることがあるが、以前、両国の首都を訪れたときに、それぞれの都市で出会った二組の現地撮影コーディネーターも、両国の歴史や風土とは何の関係もなく、しかも外から入ってきた人間たちであるのにもかかわらず、乱暴にもそれぞれの国のイメージを重ねたくなるような、なかなかに対照的な人たちであっ
た。
 今や世界中の都市に日系人は生息し、なかにはマスコミ
向けの現地コーディネーターという仕事を生計の一部にしている人たちがいる。私はある撮影のため同時期に相次いで両都市を訪れたのであるが、我々一行にも現地在住のコーディネーターがついてくれた。
  まず、マドリッド在住の日本人コーディネーターは「以前は日本の不動産関係の企業におり、バブルの頃は海外物件の開拓も盛んで、自分も投機対象としての別荘地の売買に来たのだが、バブル崩壊後に社が傾いた。しかし自分はこの国が肌に合うのか離れ難くなり、ここに残ったのだ」と自身のことを教えてくれた。なるほど、どこででも図太く生きていけそうな楽天的で明るいキャラクターで、現地不案内で食事する場所にも迷う我々に、毎晩色々な店を紹介してくれて契約時間外の同行をし、ちゃっかりご相伴に預かっていた。そういういきさつから、今までは気にもしなかったコーディネーターという人種に少し興味が沸いた我々は、次の撮影地リスボンでのコーディネーターにも興味津々で経歴を尋ねたのだが、彼は不承不承ながらという感じで答えてくれた。

絵画のように美しい

 陽光ふりそそぐ
リスボン近郊の保養地
 「自分は日系3世である。ブラジルに生まれ育ち、暮らしてきたのだが近年不景気で食い詰め、ここに渡ってきたのだ」・・・と。50代半ばと見える彼の銀髪に辛苦の影を見たような気がした我々は質問を続けるのをやめた。契約期間中の彼は、これでコーディネーターに必要なさまざまな交渉事が出来るのだろうかと心配になるくらいにもの静かであった。彼と絶妙のミスマッチコンビを組むのは、助手兼運転手のポルトガル人のマリオだ。40代と思われ、元サッカードイツ代表のリトバルスキーにそっくりの悲し顔だが、軍の戦車隊上がりの経歴を我々に納得させるにふさわしい、まさに敵陣に突っ込むような運転を披露し、昼食のときには、親が幼い我が子をあやすときにするような、指を出したり隠したりといった類のお遊び手品を私に見せてくれたのだった。
  このコンビはある日、リスボン市内の待ち合わせ場所に1時間半現れず、やっとの合流後にコーディネーターに理由を訊くと、市内の道はややこしく、日の浅い私と田舎出身のマリオは少々不案内であったのだと謝った。私のなかで乱暴にも「スペインは陽気で明るく、ポルトガルは何やらもの悲しい」というイメージをつくりあげてしまった要因は、もちろん目にした街の様子、建造物や看板や店や車、接した人々の服装や話し方、多少の知識、それらすべてが相まってのことではあるが、たまたま出会った二組のコーディネーターだったのだ。 ちなみに両国の直前に滞在したミラノでの日本人コーディネーターは、オペラ歌手を目指し留学、その夢は破れたが居残った人で、バリトンの、さすがによく通る声であった。
  ここで付記。イメージはともあれ、ポルトガルは進んでいた。撮影のため、マリオ運転の車でリスボンから郊外へ移動するために乗った高速道路の料金ゲートを、我々は停車することなく走り抜けたのだ。日本の高速道路にETCが導入される数年も前のことである。
スペインとポルトガル。フラメンコとファド。情熱と情念。表と裏・・・。
ラウルにF.トーレスとフィーゴにC.ロナウド・・・。
どちらも、うらやましいほどの人材の宝庫だ。  (写真と文/黒田クーリー)