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時事    top  vol.1
 
vol.2 「悲劇の偶発」

 このところ連日報道されている事件に、福岡市職員の22歳の男が飲酒運転のあげく、家族連れの車に激突、幼児3名を死亡させたというものがある。もし、両者のどちらかが事件現場に通りかかる時間がずれていたら起りえなかったかもしれないと思うと、もちろん加害者に同情の余地はないにしても、その偶発性に、人事ではなく明日は我が身かもと自戒の念を強くし、同時に、運転に対して怖れを抱いてしまう。我が身にではなくとも、いつ友人や部下や家族が、加害者となってしまわないとも限らないのだから。

 たぶん、ほとんどの事故や事件は天の配剤か、はたまた悪魔の仕業なのかはわからないが、いわゆる偶然によって起ってしまうのだが、その偶然に出会わないようにする努力、または出会ってしまったとしても、それが事故や事件に発展してしまわないための日常の努力は誰にでも出来るのだ。よく言われることだが、やはり「起ってからでは遅い」のだ。

 今回の加害者である青年を知る人たちは、この手の事件の例に漏れず、「いい子だった」「こんな事件を起こすなんて信じられない」というが、それも偽らざる気持ちなのだろう。答える人にしてみれば、自分が日常接している青年に対する正直な感想を述べているに過ぎないだろうし、青年に近しい者であれば、「せめて自分だけでも見方になってあげないと」という心理も働くであろう。当然のことと理解できる。しかし、第三者としては加害者に対して、その不注意ゆえ、同情などはできないし、同情的な意見を見聞きしてしまうであろう被害者(遺族)の気持ちを慮ると心が痛む。私たちは一連の報道を客観的に、かつ冷静に判断し、自らの今後の指針とするしかないのだし、それを導くのが報道の本来の意義であろう。

 第三者としては、期せずしてなってしまったとはいえ、加害者に対して単純に同情などできないが、将来、加害者が罪を償い社会に復帰できたときに、復帰までの努力と道のりを知る近しい者が「充分反省したろう、ごくろうさん、がんばって更正・復帰したな」と言ってあげるであろうことは理解できるし、罪を償った者に対して責める言葉までは持ちえない。

 加害者、被害者のいずれにしても、今後の人生を大きく左右する局面に一瞬にして立たされてしまう「事故・事件」というものからは、充分すぎるほどの危機意識を持って遠ざかっていたいものである。

 以上は、常はほぼ善良な生活を送っている人間が、ちょっとした不注意や認識の甘さゆえ、偶然と相まって加害者となってしまうことについてであるが、一方で、許されざる加害者というものもいるわけで、いわゆる確信犯などはもってのほかである。例えば、被害者にとってはいわれなき殺意でもって人を殺める人間などは、もはや人間でとは呼べないモノであるからして、そのようなモノは即刻にでも、この世から抹消すべきであると、私などは思っている。

06. 夏(文 / 黒田クーリー)