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時事    top  vol.2
 
vol.1 「 planet 」

 このほど、国際天文連合の総会によって惑星の定義が見直され、その結果、惑星がひとつ減らされることとなった。惑星の覚え方と同じように、略していくつかの順番を表したものに、中国の歴代王朝のなかでの代表的なものを覚える際の「殷周秦漢隋唐宋元明清(これはいちばん簡単な形)」などがあるが、惑星の存在は科学というよりは、いわば、それらの痕跡が発見される過程で積み上げられてきた中国王朝に対するのと同じような、歴史認識とも言えるものであり、例えば、せっかく覚えて夢を馳せ、ロマンを感じた中国の王朝が、実は無かった・・・などと言われたら、激しい衝撃を受けるだろう。

 今回の衝撃を表すのに、他にはどんな例えがふさわしいであろう?・・・。人間が物事を考えるのは脳ではなく、実は心臓であった・・・とまではいくまいが、人類創生の頃はへそも肛門だった、くらいの衝撃はあったかもしれない。少なくとも子供のころよく、この宇宙の外はどうなっているのだろう?と考えると眠れなくなり、なけなしの小遣いを貯め、クレーターくらいは良く見えたが、集光力、解析度が低く、月の表面以外で唯一はっきりと見ることができ、感動できたのは土星の輪くらいであった4センチ口径の屈折式天体望遠鏡で、それでもある時期、毎夜のように天空を覗いた私には、そうだった。ロマンの塊である星というものを、実に卑近なレベルに落とし、人の夢を壊しやがって!

 はたまた(しつこいようだが)、最大潮位の時にだけ歩いて渡れる陸地が出現し、大陸と島が繋がることを、現地人は当たり前のこととして知っているのに、探検に来た者が、たまたまそのとき発見したので、島を大陸の一部だと思い込んでいた・・・てな感じ?・・・。今回も「何が発見やねん!ここにはずっとわしらが住んどって『○×▲◇%&@』と呼んどるンじゃ!なにが冥王星じゃ!惑星てどういう位置づけやねん!ここはド田舎っちゅうことか!?市から村に格下げになったようなもんか!?勝手に決めんな!」と冥王星人が怒ってたりしたら実に楽しいのだが・・・。

 まじめな話、今回の出来事は、定義を変更するほど惑星調査が進み、宇宙の解明が一歩進んだと言えなくもなく、そういう意味では科学の進歩というものを感じるが、と同時に一方では、現時点ではまだ、いったん解明されたと思われていた事柄を変更しなければならない程度にしか進んでいないとも言える。事実、望遠鏡でその存在を確認している、といったレベルではなく、実際に降り立ち、探査された星がいくつあるというのか?・・・。宇宙の全容解明などという夢物語はさておくとしても、天文学的数字で年数を表すような遠い遠い未来ではなく近い将来、他の星への移住などということをせっぱ詰まって考えなければならないかもしれないほど、地球環境を破壊し続けている人類の未来を思うと、今の、遅々として進まずと言わざるをえない宇宙探査のレベルに暗澹たる気持ちになる。

 ともあれ私たち人間は、今回、矮惑星と名付けられ格下げとなった冥王星よりも、小惑星よりも、その衝突によって地球の環境を激変させ、その生態系を変えてしまうほどの力を持っているにもかかわらず、名前さえも付けられていない隕石よりも矮小で、宇宙のほんの一端を垣間見せてもらっているだけの、実にちっぽけな存在なのであるからして、今後も、未知のものには畏怖を感じ、そして同時に敬意を払って対峙していかなければならないのではあるまいか。そういう意味では、天体を神秘と捉え、古来より惑星直列や彗星の飛来に人間の未来や運命を重ね、驕れる者への警鐘とし、生きていく糧とも意味づけする占星術などの世界が、最も謙虚な、人間の本来あるべき姿勢なのかもしれない。いっそ宇宙は謎のままに置き、人類は地球とともに運命をともにしよう。私はそのときこの世にはいないので、せめて地球が長持ちするための一助にでもなれればいいと思う・・・。                  

06. 夏(文 / 黒田クーリー)