独りで何でもこなす筆者
(実は予算の関係で
CA雇えず) / マドリードで
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その1。テクノロジーの進歩は放送機材にも及び、近年、機材の高性能化・軽量化が実現しているが、それでも放送用スペックを持ったカメラはかなりの重量になる。そのカメラをあるときは何時間もぶっ通しで肩に担ぎ、あるときは片手で頭上にかざしながら、撮影対象をフレームの中に収め続けなければならない。そのような仕事が虚弱な肉体の者に可能であろうか?
その2。撮影の対象はさまざまで、それは人間・動物・自然・建物・芸術品と列挙するより、この世に存在しているもの、形あるもの全てだと言っていい。しかし、カメラマンの仕事は形を映し出すことではない。その形が意味するところや内面を表現しなければならない。人物を撮るのは、その人物の内面を表現するためであり、芸術品を撮るなら、その様式を正確に、またはフォルムをデフォルメし、作者の内面に迫ったり、あるいは製作された時代へと視聴者を誘わなければならない。つまり対象物を記録するにとどまらず、そこから新しい世界を現出させなければならないのである。そこには膨大な知識と常識が、大げさにいえば森羅万象を理解する能力が求められるのである。アンポンタンには不可能である。
その3。撮影の条件はさまざまで、空調の効いた空間ばかりではない。時には、肉体的に劣悪な環境の中、しかも危険を伴う撮影もしょっちゅうである。いつ、暴力のとばっちりを受けるかもしれない「警○24時」系番組の撮影現場。圧倒的な自然の猛威にさらされるかもしれない災害の現場。そんななかでさまざまな脅威に抗いながら確実に撮影をこなし、それでいて、ファインダー越しなら怖いものがなくなってしまう、カメラというものの魔力にも捕われず、安全確保とスクープのバランスを保ちながら生還する。そこでは、すぐにパニクったり、頭が真っ白になってしまうような者は手ひどい目にあいかねない。
頑健な肉体、明晰な頭脳、そして常に冷静を保つ精神がカメラマンには必要であると思っている私は、仕事をこなしているとき「あ、俺ってゴルゴみたいじゃん」と束の間うぬぼれたりするのだが、ゴルゴといえば言語能力に秀で、あらゆる格闘技を身に付け、世界情勢を熟知し、権謀術数に長け、それでも周到にターゲットに関しての情報を可能な限り収集し、己のオペレーションを完璧に遂行する男であって、ゴルゴを形作るそれらのファクターを具体的に思い浮かべ、自分に備わっているものがひとつでもあるだろうかと比較分析したとき、「あ〜、俺ってゴルゴにはなれてないじゃん」と打ちのめされるのだ。さらにゴルゴは、スナイプという仕事をこなすために世界中を飛び、あらゆる乗り物を運転・操縦し、訪れた街では娼○を買い、紫煙をくゆらせる。
ああ、私に出来るのは煙草をふかすことくらいだ。
ミドルエイジは冷静に、白昼夢から醒める。
06.夏(写真と文 / 黒田クーリー)
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