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「スタジアムはおっさんのもの」  06.6.22   


サンシーロ(ミラノ)での
ACミランVSラツィオ戦

 地球規模において、人類の現在の最大の関心事は、政治問題を除けば、ワールドカップであることに間違いはないが、その大会において、順当というべきか妥当な力関係による結果というべきか、ジーコ率いるわが日本代表は予選リーグにての敗退が決まった。
  サッカーは単なるスポーツであり、その勝敗によって国際間での政治的地位が上がるわけでもない。サッカーの実力と国力、サッカーの評価と国の評価は関係ない。しかし、サッカーを通して、それぞれの国情や民族の性質の一端を垣間見ることができるのもまた事実なのだ。生来の勇猛果敢さをピッチ上で表現する民族。賢く戦略をめぐら

し、それを実直に遂行できるチーム。不安定な政情により荒廃した人心を、サッカーを通じて癒せればと願う代表選手。政治・文化を通じても初の国際舞台に、国威発揚をかける国などなど。
  各国の代表が、大げさにいえば命がけで闘っているように見えるのに比べ、日本代表の選手たちにはそういう決意が感じられない。少なくともピッチ上でのプレーにおいて、私たちに感じさせてくれたとは思えない。試合前のコメントでは頼もしく勇ましく、それを聞く者に希望を持たせる言葉が聞こえてきた。「勝ちにいく」「失うものなど何もない」「倒れるまでやる」・・・云々。だが、それらの言葉を体現した選手がいったい何人いただろう。
  日本の予選リーグ敗退を決定した試合終了後、ピッチに倒れ込んで動けなかった選手は、ひとりしかいなかった。そのとき彼以外の選手たちは日本のサポーター席に向かって一礼し、手を挙げていた。そのコントラストは、国民の目にはどう映ったろうか? 
諸外国、特に列強ヨーロッパのサポーター席を見ると、むくつけき大男、力の強そうなおっさんたちが「気持ちの入ったプレーをしないと承知しないぞ」的オーラを醸し出し、大声で歌い、選手を鼓舞しているのである。怖くもあり、頼もしい、そんなおっさんたちに応援される選手が死にもの狂いでやらないわけがない。
  サンシーロ(ミラノ)でのACミランVSラツィオ戦を観戦したことがあるが、本場のスタジアムの空気は正直怖かったのである。腕に剛毛を生やしたでかいおっさんたちが客席の大半を占め、真っ赤な煙の発炎筒が焚かれ、喉が張り裂けんばかりに発せられる大声での歌が会場を包んでいるのである。ビビる私の視界には女性や子供の姿は皆無であった。
  おっさんたちはおそらくこう思っているのである。「わが町の代表であるおまえたちが命をかけて走り、ぶつかり、蹴らないのなら俺はお前たちを赦さない。だが、われらの代表として他に恥じない勇気をみせてくれるのであれば、俺はお前たちを誇りに思い、お前たちを育てた親やチームを讃えよう。そして、そんな素晴しい選手を産み育てた町の一員として自分自身にも誇りを持って、明日からもまた生きていけるのだ」
  地面に倒れこみ、虚空を見上げ、時にはユニフォームで顔を(おそらく涙を)隠し、己のサッカー人生において重要な、おそらく最後のエポックと位置づけた大会での無様で、ふがいない結果に対する負い目や悔しさをかみしめていたその選手こそが、現在までのところ、代表選手のなかで最も世界基準のサッカーを体感し、世界との力の差を感じ、それを埋める努力を続け、そしてその結果、それこそ倒れるまでの決意と勇気を持って臨めばどのような相手にでも勝てる可能性があることを知っている誇り高き勇者だったのだ。   (写真と文/黒田クーリー)